全ては正しい時に正しい場所で起こる

私は、人混みが嫌いである。
人混みが嫌いであるが故に、行楽地や観光地に行く事に、興味が湧かない。
シーズン中の行楽観光地など、世の中で二番目に嫌いである。

そして、子供の為にと各地を連れ回ってみても、幼い我が子は覚えていないと言う事を、親になる前から経験として私は、知っている。

つまり、私自身が幼い時分の旅行を覚えていなく、両親を幻滅させた経験があるのである。

そして、その経験は、我が子でも証明済な事もあり、我が家に居る二人の我が子は、既に経験を記憶として保存可能な年齢にとうに達している今になっても、その様な訳で、とんとアチコチ連れ出してアレコレ見聞を広める経験を積ませていないのである。

しかし既に、彼らが経験から、学習し、情緒並びに人格形成に多大な影響を受け、その後の人生観に絶大な影響が出る時期に当たり、このままではイカンと思い出した。

人混みの観光地も、後の彼らの何らかに影響を与える貴重な経験なのだと、思い直した訳である。

その様に思い直すと、今まで私自身の都合で我が子達が経験の場を得て無かった事に罪悪感を抱いてしまうのだが、実際立ち止まり考え直すと、別段際立って殊更に罪悪感を感じる必要はないのだと気付く。

多少なりの罪悪感を感じるのならば、これから色々と経験を積ませてやれば良いのである。

それは観光地に行く事だけではなく、有名アトラクションに乗りに行くだけでもなく、ましてや、世界一有名なネズミに会いに行く事だけでもないのである。

つまりは、貴重な経験とは、木立の木漏れ日の眩さを見せる事であり、マッチからティンダーに着火させる事であり、満天の星空を見る事であり、夜空を滑る流星を一晩かけて探す事であり、自らの足でゴールを目指し走り抜ける事であり、茹だる盛夏の冷え切った清流に見を投じる事であり、大海原に隠れる魚影を追いかける事ばかりでなく、旅程や宿泊先の予約プランニングも貴重な経験であり、一人車窓を眺めながらの移動も、全身に風を受けながら漕ぐ自転車も、最新のモードで着飾されたディスプレイを見る事も、奇才たる色彩で描かれた絵画を観る事も、全ては、貴重な経験となるのである。

トドの詰まりは、どっか行きてぇなあ〜、なのである。



yatte-mio

息子と娘の事とサッカーの事と好きな事と書きたい事。

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