絶対的幸福感
こんな事を書くと、非難されるかも知れないけれど。
朝の通勤時。
最寄駅入口の前を、何人かの親子が手を繋いで歩いて行く。
スクールバスに向かう親子連れ。
お子さんの手を大事そうに握って、お子さんの歩く速度に合わせて行くお母さんお父さんの顔は、皆ニコやか。
子供達を待つスクールバスは、支援を必要としているお子さん達が通うスクールのバスだと思われる。
毛の先ほども、その事を、見下したり、優越感に浸るような思いが私にない事は、一応先に書かせて貰う。
その親子のニコやかな顔を見て、私は、羨望の眼差しを向けてしまう。
そして、思う。
多分、同じ子を持つ親として、子供の将来の不安と言う事では、手を繋いで行く子供達よりも、我が子達の方が少ないんだと思う。
だから、うちが恵まれているとか、子育ての問題に対して救われる、と言う事ではなく。
不幸とは、相対的なものであり
幸福とは、絶対的なものなんだ
と気付かされる。
他者と比べて優越や有無を競えばこそ、不幸を感じ、自己嫌悪に陥り、喪失感や無力感孤独感を感じる。
しかし、幸福感を得ようと思えば、誰かと比べる必要はなく、ただただ、在るがままを受容れ、在るものを愛しめば良いのだと、気付く。
子供に限らず、誰も、皆、不完全。
成功者と言われる者も、どこかを誰かと比べれば、足らないものがあるのだと思う。
皆が皆、幸せになりたいと願って日々を過ごしているのだと思う。
どこかが足りなくて、どこかが幸せでないから、幸せを願うのだと思う。
そして同時に、それは、幸せな事なんだと、思う。
我が家には今、笑顔があり、会話があり、家族で共有する時間と少々の問題事がある。
今も十分に恵まれていると改めて思う。
いささかも、人生に失望する必要はないんだと、思う。
ただ、もう少し収入が欲しい。
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