そのまま受け入れる
職場の電話が鳴る。
ディスプレイに私が担当している社名が表示。
私は席を離れて作業中。
他の職員が「私がさん!電話!」
私「今出れないんで出てください!」
職員「え?電話よ!電話!」
鳴り続ける電話。
私(馬鹿か!出ろや!今俺席離れて別の作業しているだろうが!)
鳴り続ける電話。
職員「電話よ!」
私作業中断して席に飛んで帰り電話応対。
私「“電話待たすなよ。今出れんの分かるだろうが。取り敢えずの応対しろや“もしもし、大変お待たせ致しました。はい」
職員「え???え?」
ここでこの職員を、馬鹿だアホだカスが消えろ!クズが!と思うのが、我執。
私の傲りであり私の執着。
この職員に寄って私の感情が捕らわれ不自由になっている。
雲の様に何事にも捕らわれず自由でいる為には、観察する事に徹する。
この職員の能力の優劣、人間性の高低なんぞに捕らわれず、ただ出来ない人だと言う事をそのまま受け入れる。
つまり、この職員の評価自体をしない。
ただ出来ない事実を事実として受け止める。
私の心の観察ノートに書き記して置く。
気が利かない。
モノの道理が分からない。
状況が読めない。
それに対する評定などはせず、ただ事実を書き記して置く。
水が石に当たれば流れをただ変える様に。
行く手を阻む石に抗わず、ただ流れる方向に流れを変える様に。
出来ないんだから、出来ないヤツが居ても出来る様にに、こちらの流れを変化させる。
ただ流れるままに自由に私自身を変化させる。
変化出来るだけ変化させる。
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