木に立って見るのが親
ありふれた言い古した言葉ですが、木に立って見るのが親。
木に立って何を見るのか?
それは勿論、子供の姿。
1人で居る姿、友達と居る姿、頑張ってる姿、苦しんでる姿を、泣いてる姿、笑ってる姿、怒ってる姿。
色々な子供の姿を見るだけではなく、木に立ってでも見る姿こそ親。
木に立ってまで見ると言う事は、子供が自分の事など見えてないだろう、と思う様な遠くにいる姿さえ見ていると言う事。
そんな姿すら見られているから子供は安心し親に畏怖を覚え、信頼するんだと思います。
見てみて!ねぇ?凄いでしょ!?褒めて褒めて!
と子供に言われて見ている内は、安心も畏怖も与えれない。
「ねぇ見てみて!凄いでしょ?!え?あ、それは・・見てたの?ウン。ごめんなさい。」
「え?なんで知ってるの?えへへへ、凄い?ありがとう。」
と言われて始めて、安心と畏怖を備えた信頼を得るんだと思います。
何でも先回りして手を出す為に見るのでは無く、高い木に立って見ているから、必要な手を差し伸べれるんだと思います。
見る見守る見定める。
視線の先に何があるか。
自分の視線は何を捉えているか。
小さいながら、とても大切な事。
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