見通し不明だからこその、自由
1月は往ぬる2月は逃げる3月は去る。
今年もはや1月半ば。
もう新年度が目の前。
来年度はどうなるやら。
公私ともに見通し着かぬ今期末。
見通し着かぬ事に不安もあるが、見通し着かぬ先が困難だと確信する術もなし。
不明は不明。
先が明るきも暗きも分からぬからこその不明。
ならば希望と言う明るき光で指し示してやれば良い。
希望の明るき光で指し照らされた先に、見通し不明の不安など産まれぬが理。
見えぬなら見たいものを見れば良い。
わざわざ見えぬ先に見たくもない幻惑を投影する用もなし。
見えぬはずの先に不安の種が影を浮かべているのなら、避けて通れば良し。
見えぬ先に見える不安は、己自らのココロの影。
在りもしない影に囚われる不自由。
先は先。
如何様にもなる。
と不安を手放す事こそ、自由。
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