戦争を常に正義を掲げた者が始める
北には北の言い分があり、北朝鮮のミサイル開発にも正義があるのは、認める。
だからこそ、その北朝鮮に対する軍事的行動への批難にも正当な言いがもあり、日本の専守防衛的敵地攻撃も、また正義である。
自らが自らの正義を掲げ、他者の掲げた正義に理解を示さない時点で、自らが正義と言う正当性を無効にしているのだが、それを理解出来ない事が、北朝鮮の悲劇であり罪なのである。
正義を主張する事に罪はないが、自らの正義のみを押し通す事に過ちがあり、自らの正義を押し通す手段として軍事的行動を選択する事が、罪なのである。
これは差別ではなく現状認識として、自由に多種多様な情報に触れ、多角的な思考や思想、数多ある正義と触れ合える在日の方でさえも、自らの罪への意識が希薄だと感ずるコメントをされている現状から、情報や思想に制限を掛けられている北朝鮮国内に置いては、数段増しの罪の意識の希薄さ、数段増しの自己正義への陶酔がある事は予想に難くない。
その現状を十分理解せず、安易で短絡的で自己中心的ご都合主義に依る性善説的な平和的解決、つまりは野党が口にする日米同盟での圧力が緊張を高めている論など、北朝鮮の過ちを加速させ、北朝鮮の罪へ加担している事に他ならない。
北朝鮮の正義を認めるのなら、日米の正義も認めねばならぬ。
日米の正義を認めるのなら、北朝鮮の正義も認めねばならぬ。
互いの正義を主張し平和的な合意を形成する場が6カ国会談であったのだが、その場から席を立ったのはどちらの国か。
どこに過ちがあり、どこに分岐点があったのか。
同じ誤りを繰り返さない為に、今こそ冷静な歴史の反省が必要なのである。
0コメント