主張
旭日旗問題の論点は2つ。
1)旭日旗がナチス旗の様な侵略の象徴たるのか?
2)何の為に今回旭日旗を持ち込んだのか?
この二つを混同し並列的に議論するから、どんどん問題が変形して複雑化して行く。
1)についてはウィキペディアにある通り。
「大韓民国では旭日旗は近年まで批判の対象とされていなかったが[41]、2011年1月のサッカー日韓戦で日本人を侮蔑するパフォーマンスを行った韓国代表の奇誠庸が人種差別にあたるという批判に対して「観客席にあった旭日旗への報復のために行った」(実際に観客席に旭日旗は掲げられていなかった[42])と言い訳をしたことを契機に、韓国世論は旭日旗に問題があり、国際社会から追放するべきと主張するようになった[41][43]。 また、2012年8月10日に起きた李明博大統領の竹島(韓国名:独島)上陸とその直後に開催されたロンドンオリンピックサッカー3位決定戦において、朴鍾佑選手が「独島はわれわれの領土」と書かれたプラカードを競技場で高く掲げるという行動をしたが、これについて日本は抗議し国際オリンピック委員会(IOC)もそのような政治的行動を問題視した。これに対して韓国では旭日をあしらってデザインされたとみえる日本のユニホームなどをはじめ、「旭日旗のほうが問題だ」として抗議、韓国国会議員・韓国世論・在米韓国人らの旭日旗への抗議は加速し、旭日旗を「戦犯旗」と呼んだり「ナチス党旗と同じ性格の旗(ハーケンクロイツ)」とまで主張するようになった。」
旭日旗への批判は正当性がなく、言い掛かりである。
しかし、2)何の為に今回旭日旗を持ち込んだのか、については、旭日旗問題を知らなかったのなら不運な事故とも取れるが、韓国まで応援に行く程のサポーターが旭日旗問題を知らないとは考え難く、政治的主張はないとしても、迷惑行為に準ずる行為として自粛配慮が出来なかった事は、サポーターの落ち度であり、批難されても致し方ないと思う。
そもそも、スポーツに政治を持ち込まないのが基本理念。
どちらが先にスポーツに政治を持ち込んだかの問題と、実際にスポーツに政治を持ち込む事を是とする事は相容れない。
つまり、相手がスポーツに政治を持ち込んだからこちらも持ち込んで良い、などと言うの理論は通じない。
基本理念に沿ってスポーツと政治を分離しているからこそ、相手の基本理念無視を指摘糾弾できるのである。
政治的主張政治的議論はそれに相応しい場で論ずれば良い。
スポーツはスポーツとして楽しむ。
それこそがスポーツマンシップと言うモノ。
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