表層を漂う
先ずは文中の
〉国務大臣として答弁席に立って答弁した
〉発言が「私見」で済む訳がありません。
が少々事実に反します。
国会答弁で、稲田防衛大臣は
11年前の雑誌対談の1文脈を抜き出して問われましても、今は防衛大臣にある私が国会の場で答えるのは適切ではありません。
と縷々答弁されてます。
国会答弁で大臣たる身で私見を申し上げるべきではない!
と稲田防衛大臣自らが仰り続けています。
その稲田防衛大臣の常識的かつ国会議員としての良識を蔑ろにして、過去の私見を引っ張り出し上げ足を取ろうと目論み、国会審議を邪魔し続ける民進党。
国会審議進行上已む無く答弁した稲田防衛大臣の、これまた一節を切り出して、民進党の謀略幇助に、上げ足をすくい挙げる記事筆者。
程度が知れます。
記事筆者の肩書はご立派。
私ごときの私見より、弁護士たる記事筆者の私見の方にこそ、正論があると言われるならば、弁護士として記事筆者よりキャリアがあり防衛大臣たる身の稲田防衛大臣の言に正論があると言うもの。
こう言う破廉恥漢に抗する為に、内閣側が一字一句に気を配り審議をするから、議論が深化しない。
表層のみで、教育勅語の稲田防衛大臣罷免とか言う程度だから、教育勅語には反対するんでしょう。
教科書に乗っているだけが歴史ではないのです。
切り出した一節が全てではないのです。
教育勅語の歴史的意味など過去のもの。
正義は時代で変わるからこそ、歴史的背景も踏まえ考察することが、歴史が歴史としての意味を持ちます。
明治天皇が下賜したから問題だ。
戦後復興の真っ只中の昭和23年国会で排除失効確認されたから問題だと言われるのであれば、記事筆者の言われる
〉他の徳目についても、誰かエライ人に
〉強制されるべきものではありません
に記事筆者自らが反します。
道徳は誰かに強制される物ではないのであれば、何を基準にするか何を基準にしないかも他者が論ずべきではないし、大臣たる公職の身にある者が国会で私見を述べるべきではないと言うのであれば、頑なに私見を述べられない稲田防衛大臣に、その大臣たる資格はある様に思います。
私見を述べるべきではないと言う私見さえ、国会審議進行の為に翻した稲田防衛大臣。
議論は同じレベルに立たなければ成り立ちません。
同じレベルにするには、高い者が低い者に合わすしかないのです。
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