求める側の義務
これも多様性の問題。
そして多様性を求める側に、多様性が無い問題。
正論は人の数ほどあります。
しかし、ご自身が説かれた正論に、ご自身が則さない矛盾。
他者に多様性の重要性を説くのであれば、先ずはご自身が、その多様性を実践されるのが、ご自身が説かれる多様性の重要性の証明になりませんか?
と言う問題と、宗教的戒律の正当性を混合して論じるから、結論が出ないのです。
>ムスリムを取り巻く問題改善のきっかけになれば
それぞれが信仰する宗教の差異の問題ではないのです。
>ルールだから駄目というのではなく柔軟な対応を検討してほしい
求めるなら、自らの行動で範を示せ、なのです。
ハロウィンが近年盛り上がり、クリスマスを祝い、除夜の鐘を聞きながら初詣に参り、節分に豆を撒く。
産まれたら八百万の神の加護を求め、死しては御仏の三千世界に渡る日本人の宗旨は、お互い様の譲り合い、なのです。
自己犠牲の施し精神が日本人の多様性の基礎ではないのです。
譲り合いこそが、日本人の寛容的多様性の根幹なのです。
宗教に寛容で多様的な風土だからと、多様性を求めるだけでは、足りないのです。
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