僕も君も、である
中国新聞6面。
識者評論、浜矩子氏の評論。
僕富論と君富論。
トランプ米国大統領と並べて、ドゥテルテ比国大統領、安部首相を僕富論者と位置付けてらっしゃる。
氏曰く、
僕富論とは、自分だけが富めば良い論。
それに対して、
君富論は、あなただけが富めば良い論。
となるそうで、グローバリズムのこのご時世には、君富論に徹しなければいけないらしい。
確かに、僕富論と君富論の二元化で、世の中を見てみると整理しやすい。
が、正誤善悪を僕富論と君富論の二極化して悦に入り語っている辺りには、氏の評論冒頭に書かれている氏の言葉を、そのままま贈りたい。
>読みも浅読みも、何読みもない。はい、そうですか。そう言うしかないだろう。
グローバリズムを存続可能にする論は
僕も富み、君も富む。
君が富む、僕も富む。
と言う相互富論。
それがグローバリズムを存続可能にする方法だと考えるのだが、浜氏は、「君さえ富めば良い」君富論がグローバリズム存続可能の方法だと説かれ、僕富論のトランプ大統領を子供だと、コケにされている。
しかし、浜氏から見ればトランプ大統領は「君」であり、氏の母国から見れば、アメリカは「君」である。
「君(アメリカ)さえ富めば良い」のが君富論であるのだから、浜氏はトランプ大統領並びにアメリカが富む事を非難する事自体、浜氏自信が言われる君富論を否定されていると考えるのだが。
君富論は、一方の施しによって成立する、不公平な論。
互いが僕富論ではダメで、互いに君富論を掲げる事だと言うのであれば、それは、君だけが富めば良い論ではなく、「互いに富む」と言う別の理論である。
君だけが富めば良い論の解は至って簡単。
僕が犠牲になり君に施しを続ければ良い、のである。
しかし、互いに富めば良い論での解は、単純には行かない。
何が互いの富みであり、何が互いの富みを害するのか。
どこが中庸でどこで折衝するのか。
知識と時間と経験と知恵を要する高度な理論。
君富論で相互富論の解は、出ないのであるから。二つが同じ論だとするのは、無理があると考えるが、どうだろうか?
世の中、単純だからこそ、複雑なのである。
そこで単純に浜氏に問いたい。
浜矩子氏は、どこの君さえ富めば良いとお考えなのであろうか?
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