差別と特権意識
初詣の真ん中でベビーカー自粛を差別と声高々に叫ぶ。
記事を読めばお寺側がベビーカー自粛を要請した事情は解ります。
差別差別と叫ぶのは宜しいが、さて実質はどちらが差別なのでしょうか?
確かに小さい子供を連れて外出し不便を感じた事はあります。
が、そもそも、親として、小さくか弱い我が子を危険から護るのが、最優先事項。
別に普段からお参りしている訳でもない風物詩の初詣。
行く必要のない人混みに、わざわざ小さな我が子を連れて行く危機管理能力のなさの方が、迷惑だと思います。
ベビーカーに限らず、小さな我が子は、大人の人混みの中では、足元に埋もれてしまい非常にキケンです。
周りが如何に配慮しようが、想定外はおきます。
大人にとっては僅かにバランスを崩して踏ん張った1歩が、足元に埋もれる小さな我が子にとっては、命の危機に晒されます。
何を優先しないといけないのか?
人混みに交ざる危険を犯してまで行かなければならないのか?
後1時間時間をヅラせないのか?
後3日日にちをヅラせないのか?
小さな我が子の安全を最優先にするのは、親の責任。
責任を全うせず権利だけ主張するのは、特権意識。
特権意識は差別する側のものです。
配慮を望むなら、先ずは自分が配慮しなければ。
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