教育の重大性
朝の出勤車両。
埋まった座席の前に立ってスマホを弄る私。
目の前に座っていた女性が、降車駅に着き席を立つ。
隣に座っていた推定50過ぎのご年配男性がひょいっと腰を浮かせ、自陣を広げようとする。
狭く侵略された隙間に腰を下ろす私。
隣のご年配男性、むっとした顔で侵略退避。
その男性、自分の降車駅を乗り過ごしそうになり、急いで席を立つ。
すると、ご年配のお尻のポケットから定期がポトッ落下。
「落ちましたよ。・・。定期落ちましたよ!」と私。
ご年配男性、私に一瞥もくれず落ちた定期を広い降車口へ。
白杖突いた視覚障害の方。
点字ブロックを頼りに電停駅を出入り口側へ進まれる。
電車から降り点字ブロック上で立ちんぼの年配女性と接触。
「すみません」と言う視覚障害の方。
「・・・」無言でムッと凄む年配の女性。
教育が尊ばれ、学力主義に警鐘が鳴らされて久しく、ゆとりへの危惧が叫ばれる中、本当に教育が必要なのは、ご立派な大人の方ではないかと思うのだが、どうか?
そこんとこどうなのよ?いい歳した最近のご年配さま。
人に親切にされたら「ありがとう」っ言うんだよ?
人に迷惑かけたら「ごめんなさい」っ言うんだよ?
習わなかった?
そんな事教えてくれなかった学校が悪いか?
勉強しか教えない学校が悪いわな。
あ~嫌だ嫌だ。
自分の小ささが嫌だ。
0コメント